今回は八支則の中のひとつめ。行動レベルの取り組みであるヤマについて紹介しますね。
1. yama(ヤマ) -日常生活においてやらない方が良いこと-
ヤマはさらに細かく5つの行動師範が定められており、これらは上に書かれているほど優先順位が高くなります。
1. アヒムサ(非暴力・不殺生)
暴力を振るわないというのがヨガの大原則です。
そんなの当たり前でしょ?と感じた方も多いと思いますが、実は意外とアヒムサの教えを守れていない人がいるのです。
ヒムサ(暴力)は3種類に分類されます。
- 物質的な暴力
- 言葉の暴力
- 意識による暴力
では、3つの暴力について、順番に説明していきますね。
物質的な暴力
これは一番分かりやすいですよね。人を殴ったり蹴ったりしない。
これは当たり前ですが、ついやってしまうとしたら、ちょっと苛々することがあってドアを勢いよく閉めてしまったりとかですかね。
そのような行動はある意味癖のようなもので、感情が高ぶってしまった時ついつい無意識で身体が動いてしまう人が多いと思います。
他にはアーサナに取り組んでいる時、自分の体が痛むのに我慢して無理なポーズをとってしまう。これも自分に対する暴力です。
自分の感情に身体が支配される。それはすなわち心と身体の調和が取れていないということなので、ヨガの目指す姿とは対極にあるのです。
言葉の暴力
言葉の暴力は心を傷つけます。心の傷は体の傷と違って、傷つけたことも治ったかどうかも分かりづらいのが特徴です。
自分ではそんな気がなくても知らず知らず相手を傷付けていたという話はよくありますよね。
言葉の暴力を振るわないためにはあるひとつの事だけ気を配れば大丈夫です。それは、相手の存在を尊重することです。それだけで大丈夫です。
人はみな、生まれたときから何ひとつ欠けのない満ち足りた存在であり、その価値は平等です。
相手を尊重する気持ちがあれば絶対に相手を見下したような言葉をつかったり、更には存在を無視したりするようなことは起こりえないはずです。
この言葉を発したら相手はどう思うだろうと発言のたびに考えることは現実的に難しいので、相手は素晴らしい存在だと認める気持ちを養ってみてください。
意識による暴力
これが一番無意識にやってしまいがちな暴力だと思います。意識による暴力の例をあげて見ましょう。
例えば嫉妬や妬み。これは物質的な暴力でも言葉の暴力でもありませんよね。でも心の中で標的に対して黒い感情がうごめき、決して心が穏やかとは呼べない状態であることが想像できます。
他には、「どうせ私なんて可愛くないし…」「自分なんて無価値だし…」といった自分自身に対する意識の暴力もあります。
自身の価値を認めてあげないことを暴力だと認識していなかった方は、案外多いのではないでしょうか。
この自己に対する意識の暴力はついついやってしまっていたなと気付いても中々改善する事が難しいものです。
まずはそういう思考の癖に自分で気づいてあげることから始めてみましょう。
2.サティヤ(正直・誠実)
嘘をつかないこと。誠実である事。
ただし、サティヤよりも先に示されているもの、つまりアヒムサの教えには反しない範囲でサティヤであることがヤマの二つ目の教えです。
嘘をつくとその嘘を貫くために更に嘘をつくことになります。
そして嘘がバレないか心配で心が不安定になってしまいます。
たとえ自分に不都合なことであっても真実をねじまげて見る(都合よく見る)のではなく、世界をありのままに受け入れることがサティヤです。
3.アスティヤ(不盗)
物を盗まないことがアスティヤです。
窃盗などはもっての他ですが、アスティヤには「多くを持ちすぎない」という意味もあります。
たとえば、友人とごはんを食べに行ったとき、料理を適当に注文してシェアすることになりました。
おいしそうな料理がでてきたので、お皿の上のご飯を7/8ほど自分の取り皿にのせました。
これは必要以上にごはんを取りすぎたために友人が食べられるはずであった料理を奪ったことになりますよね。
また、アスティヤの対象はモノだけでなく時間や誰かの恋人などもその対象です。
他人がもつものを羨んで執着せずとも、自己がすでに満たされていることを知る。これがアスティヤの考え方です。
4.ブラフマチャリヤ(禁欲)
プラフマチャリヤとは欲望に溺れない事です。
また、自らの快楽や欲望のために人やモノを利用しないことです。
大切なものを見極め、欲望をコントロールすることができれば、必要なとき必要なものへより多くのエネルギーを発揮できるのです。
5.アパリグラハ(不貪)
アパリグラハは時に無所有とも訳されます。貪らず、手放すことがアパリグラハです。
アパリグラハを語る上でよく例に出される手放すべきものが「~でなければならない」というエゴや固定観念です。
例えばヨガをやているとき、「もっと脚を高く上げなければならない」「もっと先生のようにスタイルが良くなければならない」などと思ったことはありませんか?
でも実際は誰もそのような事を強いていないはずです。それは自分自身が勝手に生み出した固定観念なのです。
インストラクターが生徒さんに対して「私はこんなに頑張ってレッスンしてるのだから、あなたももっと一生懸命やりなさいよ!」と思うことはインストラクターのエゴです。
各々がいろんな思いを持ってレッスンに来ている生徒さんに対して「こうであれ」と決め付けてしまうと、お互いに心地よい時間が過ごせなくなると思います。
「~しなければならない」という思考によって私達は物事をひとつの側面からみるよう強いられます。
偏った考え方を手放す(=中庸である)ことで、純粋にゆがみなく世界を、自己をとらえられるようになるのです。
いっぱいありすぎて覚えられないよ~という方へ
まだ八支則のひとつめですが、なかなかボリュームのある内容になっています。
ヤマのステップを実践するだけでも、かなり心穏やかに暮らすことが出来るようになると思います。
ただ、この5つの教えを一度に実践することはとても難易度が高いでしょう。
ですので、どれから手をつけていいかわからないなら、まずはアヒムサ(非暴力)から始めましょう!
残り4つのヤマの教えは全てアヒムサの上に成り立つものです。
自分にも周囲にも思いやりを持ち生きる。当たり前のことのようにも聞こえますが、実は気づかずヒムサ(暴力)をふるっていることがあるかもしれません。
今一度ご自身の生活を見直してみてくださいね。